長野県北安曇郡池田町ののどかな田園風景の中に佇む「発酵と暮らし おはこ」。築70年の古民家を改装した店内は、レトロで居心地の良い空間が広がっています。看板メニューの発酵料理が好評で、用意したランチは早い時間に売り切れてしまうこともあるそうです。
お店を営むのは、福岡から池田町へ移住した西山 友樹さん、亜由美さん夫婦。移住者の二人がカフェをオープンするまでは試行錯誤の連続でしたが、今ではすっかり地域に根づいたといいます。西山さん夫婦が移住から定住にいたるまで、いったいどんな試練が待ち受けていたのでしょうか。その軌跡を伺いました。
北アルプスを望む古民家カフェ「発酵と暮らし おはこ」
長野県の中心部である松本市から車で北へ30分、安曇野から国道19号線を走ると、季節の移ろいとともに美しい変化を見せる池田町へ到着します。
白馬方面まで見渡せる雄大な北アルプスは、この町だからこそ見られる特別な景色です。
そんな素敵なロケーションに、カフェ「発酵と暮らし おはこ」がオープンしたのは2023年11月のこと。営業は金曜〜月曜のみ。平日はお弁当とカフェ、週末にはランチが楽しめます(2024年5月現在)。
築約70年の古民家を改装したお店は、屋根瓦に漆喰の壁が残るどこか懐かしい雰囲気。
店内も、古民家の趣を残す柱や天井が活かされており、ノスタルジックな佇まい。子どもの頃遊びに行った”田舎のおばあちゃんの家”を彷彿とさせます。
「健康によい」をテーマにしたメニューは、「発酵」をキーワードに、ぬか炊き定食や発酵定食、発酵スパイスチキンカレーなどを用意しています。
北九州の伝統食であるぬか炊きは、おはこの看板メニュー。ぬか炊きとは、魚の臭みをなくし、ぬか床に含まれる野菜のエキスや昆布の風味などを染み込ませる調理法です。
そのほか、酒粕チーズケーキ、ヨーグルトキャロットケーキ、発酵食を取り入れたスイーツも楽しめます。
“健康に良いもの”を食べてもらいたいと、食材選びにもこだわり、できる限り無農薬・減農の材料を使用。ご飯は、池田産のれんげ米(農薬・化学肥料を従来の1/3以下で作る)と、紫米(農薬・有機・化学肥料不使用)をブレンドしています。
調理に使う醤油こうじや塩こうじも手作り。ぬか炊きに使う「ぬか」も、無農薬の米農家さんから分けてもらっているそうです。
「発酵と暮らし おはこ」が目指すのは、心や体を安らげる場でありたいということ。仕事や子育てなどでプレッシャーを感じている人にとって「ふっと肩の力が抜ける場所になってほしい」と、想いを込めています。
縁もゆかりもない池田町に移住してカフェ運営を軌道にのせ、今ではすっかり地域に馴染んだ西山さん夫婦。カフェの起業はもちろん、運営もすべてがはじめての経験だったそうです。
「試行錯誤を重ねながら、一歩ずつ前進してきました」と語るお二人。移住からカフェを開店するまでの経緯を伺いました。
池田町の自然の美しさに魅了されて移住を決意
高校・大学時代に登山部に所属し、山登りに打ち込んでいた友樹さん。大学卒業後は、東京でシステムエンジニアとして忙しい日々を過ごしており「まさにブラックな生活でした」と当時を振り返ります。
休日の楽しみはもちろん登山。東京から泊りがけとなるタイトなスケジュールでも、「北アルプスの山に登りたい」という一心で頻繁に長野を訪れていました。
「登山を終えた後、帰りのバスに揺られながら、ぼぅっと外を眺めていたとき、青々とした田んぼと稲が風に揺られる景色が目に入り、その瞬間『いつかここ北アルプスに住みたい』と心が揺り動かされたんです」と友樹さん。
その後、友樹さんは30歳を機に生活を一新。故郷の北九州エリアに戻り、縁あって亜由美さんと出会います。友樹さんの「いつか北アルプスへ移住したい」という熱い想いを彼女に伝え、移住への一歩を踏み出します。
友樹さんは亜由美さんを誘って、池田町の移住体験ツアーに参加。亜由美さんは北アルプスと田んぼの広がる景色に深く感動します。そして「池田町へ移住したい」と熱く語る友樹さんについていくことを決め、2022年7月に西山さん夫婦は移住しました。
移住後、友樹さんは地域おこし協力隊として活動をスタート。当初は、地域の祭りの手伝いや地域活性拠点施設のサポートをする予定でしたが、新型コロナウィルスの影響で活動は制限されることに。当時は、特産品のおやきの生産など、できることで地域の方たちを手伝っていたそうです。
一方、亜由美さんは、農薬や化学肥料を使わない野菜作りを体験学習する「あづみの池田オーガニッククラブ」に参加。自然に触れ合うなかで「健康によい」暮らしの良さに気づくようになりました。
移住から定住へ向けての新たなスタート
地域おこし協力隊の就任が決まれば、移住自体は簡単にできます。しかし、地域おこし協力隊の仕事ができる期間は最長3年間のため、任期が終了すると同時に、改めて次の仕事を探さなくてはなりません。
希望の職種で求人がないケースは多く、地域によっては求人自体がない場合もあります。移住者のうち約半数は起業を選択。理想とする暮らしを実現するためには、定住への課題があると言えます。
参照:地域別・キャリア別にみた移住創業者の実態 日本政策金融公庫総合研究所
順調に見える西山さん夫婦ですが、初めは定住するためのプランは何も決まっていなかったそうです。池田町での生活が落ち着き、定住に向けての話し合いをはじめたといいます。
友樹さん「始めは『地域おこし協力隊の任期後は、ゲストハウス を続けていくのがいいかなぁ』と、なんとなく考えていた程度でした。そこに妻の意見が加わり変わっていきました」
亜由美さん「多くの人が連日訪れるゲストハウスは、やりたいこととは何か違う気がしました。それよりも 『健康に良い』をテーマに、疲れを癒す場所を提供したいと思ったのですよね」
サービス業の起業や運営自体が初めてだったこともあり、話し合いの結果、「いずれは宿の開業を目指し、まずはカフェからチャレンジする」ことに決まりました。
1年半かけてDIY!築70年の古民家を改装
カフェ開業のためには、まずは建物が必要だと物件探しを始めた西山さん夫婦。しかし、理想の建物はなかなか見つからなかったそうです。
友樹さん「なかなかピンとくる物件に出会えず、巡り巡って、知り合いが紹介してくれたのが今の物件です」
古民家は10年間空き家だったために、周囲は森のように木が茂り、室内にも残置物がある状態。西山さん夫婦は、大工さんなどに協力を得て、約1年半をかけてできる限り自分たちで改装したそうです。
キッチンだけは、費用面を考慮しながら、お二人のみで挑戦。「実は、断熱材を入れるのに、妻に床下に潜り込んでもらったんです」と驚きのエピソードも。亜由美さん曰く、ほこりだらけで大変だったそうです。
一番うれしそうに話してくれたのは、廊下の改装を行ったエピソード。
亜由美さん「廊下の天井もシミ汚れがひどかったのですが、ペンキを塗ったらきれいな模様が出てきました」建物が自分たちの手によって生まれ変わる様子を見るのは、充実感があったといいます。
加えて、友樹さんは、地域おこし協力隊として、池田町と協力して壁剥がしや壁塗りのイベントも実施。
友樹さん「一緒に壁を塗ってくれたメンバーは、店のオープン初日にも駆けつけてくれました。塗った壁を自慢して帰る友人たちを見て、DIYに挑戦してよかったなと思いました」
改装作業は手間と労力がかかりますが、その過程でチームワークの連帯感が醸成され、大きな達成感や満足感を得られます。
北九州と信州の意外なつながりに導かれた西山さん夫婦
古民家を改装しながら、カフェのメニューも考え始めた友樹さんと亜由美さん。
友樹さん「”健康によい”ものを追求するなら、流行りの発酵食はどうかと調べはじめました。すると、私の故郷である北九州小倉の発酵料理に『ぬか炊き』なるものがあり、しかも、信州にルーツがあることがわかったのです。『これはもう発酵カフェを開くという運命なのかもしれない』と感じましたね」
とは言え、飲食店で働くこと自体が初めてのお二人。亜由美さんは、オープンに向けて練習を重ねて腕を磨いたそう。そのおかげで、お客さんからは「体が元気になれる気がする」「酒粕チーズケーキがおいしくてびっくりした」などの好評を得ることができました。
友樹さんの探究心と亜由美さんのこだわりから生まれたカフェのメニュー。二人の熱意と努力がお客さんに受け入れられたのでしょう。
移住から定住へ、夢をカタチに
夢見た長野への移住が叶い、定住へ向けて歩む友樹さんと亜由美さん。できることから一歩ずつ前に進むことで、やりたいことを形にしてきました。慣れないカフェの営業で忙しい日々を送っていますが、今の生活は充実しているそうです。
「今後は、カフェの2階の改装を行い、1日1組限定の宿のオープンを目指します。もちろん、人気の発酵料理もイベントなどを通じて届けられるよう考えています」と未来も語ってくれました。
大好きな池田町に住み続けるため、歩を進め続ける西山さん夫婦。その一生懸命さや頑張りが地域の人たちにも伝わるからこそ、地域とのつながりも深まっているのでしょう。
「移住からカフェの開業までにはたくさんの方に助けていただきました。今度は自分たちが次の移住者へとバトンを渡し、手助けをする番です」と、友樹さん。
知らない土地へと移住し地域に馴染むためには、地元の方々との交流や信頼関係の構築が欠かせません。西山さん夫婦は、その大切さを身をもって実感し、次の世代の移住者を支援することも目指しています。
安曇平への移住を検討している人は、ぜひ「発酵と暮らし おはこ」を訪れてみてください。地域の温かさや豊かな自然に触れ、新しい生活の一歩を踏み出すきっかけになるかもしれません。